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網走へ流氷を見に行ってきた・・・しょにょ4


さぁ一泊二日で4回目の記事投稿ですよ。

みなさ~ん、ついてきてますかぁ?

さてさて、本日は網走監獄を見学してから帰途に着きます。

博物館 網走監獄。行った事ありますか?


現在は網走刑務所と言う物がありますが、

この刑務所ができる前、監獄法という法律があったころに利用されていた施設を

現在博物館として保存・公開している施設です。(民営)

そんな監獄なんてぇモノを見て何が面白いのかって気もするかもしれませんが、

明治以後この監獄に送られた囚人達が北海道開拓に果たした役割は非常に大きく、

北海道開拓の歴史を知る上ではなくてはならない、

必ず学ばなくてはいけない「コト」がここにはあります。

(ココからちょっと真面目モード入ります。嫌な方は飛ばしてくださいね)

ご存知かもしれませんが明治維新というのは(ちょっと乱暴ですが)薩長によって成し遂げられ
新(明治)政府=薩長主体政府でありました。

当初、北海道の各監獄に送られたのは主に反政府軍に組した政治犯が多かったようです。
後にそれ以外の重罪人も送られたようですが、

明治政府は彼らを北海道開拓に役立てようと考えました。
「廉価な労働力として囚人を使役させ、北海道の防衛と開拓が進み、
人口希薄な北海道に彼らが刑を終えたのち住み着いてくれたら一挙両得である」
(博物館 網走監獄HPより)
との考えの基に彼らを動員したのです。
実際には「囚人なら人件費はタダ、もし死んでも彼らに係る費用が浮くので
一挙両得である」と言う苛烈な思考であったと言われています。

そんな囚人達は真冬の北海道でも薄い着衣に草履、粗末な食事しか与えられず、
道内の開拓、特に道路建設に使役させられたそうです。

実に6人に一人は死亡するという環境の中、
彼らは現在も残る道内主要道路(国道39号線など)の建設に当たったのです。

工事中に死んだ者は道路脇にそのまま(足には鎖がつけられたまま)埋められたそうです。
以下に罪人とは言え、なんと悲惨な事でしょうか。

現在、北海道に住んでいるワタシとしては
今までこうした歴史を知らずにいたのはいかんですよ、ハイ。反省しました。

ちょうどこの旅の少し前に偶然なのですが吉村昭の「赤い人」を読んでいたので
余計にリアルに、なんとも胸に迫るものがありました。

北海道に憧れるライダー諸氏、キャンパー諸氏にも是非知っていただきたい。
せめて「赤い人」だけでも読んでから道内の道路を走っていただきたいと思います。

 

 

 
さて、そんな網走監獄を見学して、お土産を買って、証拠写真も撮影。^^

 

 

 
さぁでは一泊二日ではありましたが、色々と楽しんだ網走に別れを告げて帰るとしましょう。

ちょっと早めではありますが、網走駅に向かいます。

 

 

んがっ!

なんとまたしても問題勃発!

石狩(札幌)方面暴風雪の影響により

ヘッポコ旅団乗車予定だった列車が運休している事が判明!

またしてもオーマイブッダ!   でありますよ!

明日は子供達の学校もあるし、父ちゃん母ちゃん達は仕事だってあるのだぞ!

「帰れないからもう一泊するべ」とか「こんな天気悪い時に動いたらダメさぁ」とか

まして「走ったらバイク減るっしょ?タイヤとかガソリンとかオイルとか」(なんのこっちゃ)

等と大昔のキャンパーみたいなことは言ってられないのである!

そう!今や僕ちゃんオトナなんだから!ちゃんとしなくちゃ!なのであるぞ。

そんな訳でさぁどうするヘッポコ旅団!どうなるヘッポコ旅団!

次回最終回につづく・・・(オヒオヒ・・・)    なのだ!

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